《本格的に美佐枝の育成計画開始》
美佐枝が20代半ば、私が22〜3歳の頃、秘密裏に過激な美佐枝の調教プランを練っていました。
これまで経験した野外露出や青姦以外に、単に調教するのでは無く、美佐枝を痴漢・盗撮の被害に遭わせる、乱交/複数プレイやスワッピング、レイプ依頼、調教師への委託、貸し出し、セックスサークルへの参加、雑誌やネットへの投稿、カップル喫茶デビュー、SMパーティ参加、知り合いのストリップ劇場の素人大会に参加や温泉街のストリップ小屋に飛び入り出演などなど想像が膨らみ私の下半身も膨らみました。
ここで簡単に美佐枝の情報を書きます。
美佐枝は当時、関東の某県住み。私の3歳上のお姉さんで168cm57kg Cカップ。
看護婦をしていました。
私とSEXする迄は処女だったと言っていましたが本当かは…?です。
将来的に私と結婚を望んでいましたが、私は結婚ではなく、従順なM奴隷に堕とす目標があるのでその旨を伝えると、最初はショックで混乱し落ち込みました。
私は、美佐枝への気持ちをストレートにぶつけました。
数日後に美佐枝から
「信幸様がお望みでしたら、美佐枝は他人と結婚し子供を孕みます。ですが…人妻になって母親になっても美佐枝を捨てないで下さい。結婚しても美佐枝は信君を世界で1番愛しつづけますから…なんちゃって」
照れ隠しに少し冗談っぽく私に誓いました。
私は了承し、契約書を書いて連盟で署名・捺印をしました。本音を言えば…M女に堕とさなければ美佐枝と結婚していたと思います。
さらに愛おしくなり美佐枝を抱きました。初めて生でハメまくりました。美佐枝が生中出しを懇願したのでタップリ美佐枝の膣にぶち撒けました。それから何年か経ち美佐枝は結婚、出産しました。
彼氏ができ、結婚までの間にもハメまくりM女に育てていました。
結婚が決まったお祝いと言う口実で危険日に何回目かの生中出しをして祝福しました。
産まれた子供は旦那の子ではなく私の子だと美佐枝から告げられました。
結婚まで旦那には必ずゴムを付けさせ他のカップルよりは回数も少なめ、犯されている最中も美佐枝は私が見ている前で旦那に犯されているのを想像して乱れていたようでした。
それから数年後に離婚を経験し私の住む県に引っ越してきました、私の家からは車で数十分程度の距離で昔より会いやすくなりました。
仕事も隣り町の病院に看護師として働いています。
沢山2人でデートやプレイを楽しみながらも頭の中では美佐枝の育成計画を思案し…次に会う時からは、第三者を混ぜたプレイにステップアップしました。
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『信幸(不明・♂)』さんからの投稿です
ありがとうございます。
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