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最近話題の「食い尽くし系」。
簡単に言うと「自分のもの人のもの関係なく食べまくり、周りに迷惑をかける人」のことです。
私の夫はまさにそうでした。
結婚する前から、彼は私の食べているものに横から箸を入れることがよくありました。
そのときはカップルの悪ふざけで済んだんですが。
結婚して、二人の娘を授かりました。
娘たちはすくすく成長していきましたが、夫はどんどん退化していきました。
体重も20kg以上は増えたと思います。
私や子供達への態度が傲慢で、特に食べ物に関しては異常に意地汚かったんです。
例えば
・ 大皿料理を出すと、夫が皿を持って大急ぎで口にかきこむ。人の皿からも取ることも日常茶飯事。ちょっと席を離れたすきになくなっている。注意すると逆ギレ「誰のおかげで飯が食えるのか」って言うけど、夫から貰っている生活費じゃ夫の食費だけで赤字です(涙)
・ 12個の唐揚げを「1人3個ね」、すると夫がキレ気味に
「何で3個なんだ?子供は2個でいいじゃん」
と6才と4才の娘の前で言う。私が反論すると、6才の娘が「ママいいよ。パパにあげる!」と言って4才の娘もあげてました。
他にもひどいことたくさんされました。
さらに夫は、会社でトラブルを起こして辞めてきたんです。
それから夫はフリーターになり、給料は一家の主として有り得ないような額になっていました。
それでも夫は家では好き放題。
生活費はほぼ私持ちです。
そんな夫に我慢の限界を感じ、復讐計画を立てました。
必要なものの準備は着々と進んでいきました。
そして実行のとき・・
夜、夫の寝室で寝静まった夫を捕獲。
結束バンドで後ろ手に縛り、足首も縛りました。
さらに、ゴム製の目隠しや猿轡もして、台車に乗せて隣の倉庫に連れて行きました。
隣の倉庫は夫が音楽活動をしていたため防音の部屋なんです。
今ではただの倉庫になってて、私が片付ける前はいやらしい本やDVDだらけになっていました。
子供たちは夫婦の寝室と倉庫には入ってはいけないことになっていました。
夫が勝手に決めたルールなんですが逆に今ではそれが好都合です。
そして夫を倉庫に連れてくるとドアを閉めました。
倉庫の中でハサミで夫の衣服をチョキチョキしていきます。
そして全裸になった夫。
私は憎き夫の哀れな姿をしばらく眺めていました。
縛られて、目と口を塞がれて、床の上で眠っている夫。
腹は出てるし、久しぶりに見る逸物は萎びていました。
そして、目を覚ます夫。
目を覚ますと夫は大声で呻いて身体をバタバタさせました。
無理もありません。
気がついたらこんな状態ですからね。
そして私は、用意しておいた一本鞭を手に取ると、夫の体をはたきました。
すると鋭い音と肉感、夫の体には一瞬にして帯状の跡がつき、猿轡の中から悲鳴を上げる夫。
夫は痛みと恐怖からか体をバタバタさせました。
よく見ると夫の肌に鳥肌が!
それを見ると同時に、優越感から笑ってしまいました。
夫は相手が誰か気付いているのか、何か言いたげでした。
でも、応対せずしばらく眺めていました。
夫を倉庫に監禁したまま、寝室に戻る私。
翌朝、子供たちには夫は出張で何日か帰ってこないと言っておいて保育園に送りました。
夫のバイト先から電話もありましたが、辞める旨をサクッと説明。
一通り終わると、倉庫に戻る私。
しばらく放置したせいか、あるいは恐怖からか夫は失禁していて、大の方も出ていました。
私は
「きたねーな!」
「このクソデブ」
とか散々罵りながら、夫の汚物を片付けました。
そして一通り片付け終わると、夫に近づき目隠しをしたまま猿轡を外しました。
夫は意外にも落ち着いた声で
「どういうつもりだ・・」
私は
「見りゃ分かるでしょ。あなたにはちょっと反省してもらわないとね。」
夫は
「何だって!」
すると私は、また鞭を取り夫をパシャリ!
そのあとも、夫が抵抗するたびに鞭でしつけました。
倉庫には外側から鍵をかけていて、娘が外出、あるいは寝静まったあとに夫の世話をしました。
その日の夜には目隠しを取ってあげました。
夫は何回か泣いたのか、目が真っ赤でオドオドした目つきになっていました。
翌朝になると、足首の拘束も解きました。
一方で、裸で手を縛る対応はしばらく続けました。
ときどき、手の拘束を解くこともありましたが、鞭で脅しながらで短い時間でした。
夫を監禁してから3日目、初めてシャワーを浴びせました。
はじめはシャワーなんて贅沢だって思ったんですが、いい加減に汗臭くなってきたからです。
娘が寝静まったあとに、後ろ手に縛った夫を裸のままお風呂場まで連れて行きました。
お風呂場でも夫は縛ったままなので、私が着衣のままお風呂場に入り、体を洗ってあげました。
すると、夫の逸物がいつのまにか勃起していたんです。
「ちょっと、何感じてんの!」
私が言うと夫は
「ごめん。でも、しばらくしてないから。」
当たり前ですが、夫は監禁されてから一度も抜いてないようでした。
そこで私は抜いてあげることにしました。
夫は縛られて動けないなか、陰部を刺激されしばらくするとイッてしまいました。
そのあとも夫の監禁は続きますが、鞭で脅したり、罵ったりすることは少しずつ少なくなりました。
はじめは私が鞭などで脅して言うことを聞かせていたんですが、この頃には夫がすっかり大人しくなってきていたんです。
ずっと監禁され、食事も制限されている夫にとって唯一の楽しみは射精でした。
夫は、裸で縛られていて、実の妻に手コキしてもらえるのがとても快感だそうです。
勿論夫が気持ちいいのもありますが、セックスレスになっていた私は夫の精液を見るのが新鮮で、興奮しました。
3日目と4日目は何回抜いたか覚えていないくらいです。
夫を監禁して5日目。
この頃になると、寝るときなど倉庫にいるときは夫を縛らなくなりました。
この日は娘2人を送ったあと、夫の久しぶりにお風呂場以外の家の中を見せることになったのです。
この日は結束バンドではなく、ロープで夫を縛りました。
ロープにしたのは気分転換ってのと、ロープの端を私が握ることで雰囲気が出るからです。
裸で縛られている夫と一緒に家の中を探検しました。
はじめはキッチンに行きました。ほんの数日ぶりなのに夫は懐かしがっていました。
リビングのテーブルで裸のお尻をいつも夫が座っていた椅子の上に乗せて雰囲気を味わっていました。
その椅子を見ればいつもふんぞりかえっていた夫の姿が目に浮かびますが、今は裸の囚人が慎ましく座っていました。
そのあと、駐車場なども見ました。
流石に室内からでしたが、夫が愛用していた車にまた私たちが乗ることはあるんだろうかという気持ちになりました。
そのあと、今は私だけが使っている夫婦の寝室を見て夫が少しずつ寂しそうになっていました。
そして最後に子供部屋へ。
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そこには、娘たちのおもちゃや娘たちがもう少し小さい頃の写真など今までの思い出がたくさんありました。
夫は懐かしそうにいろいろなものに目を通していました。
全裸で縛られている父親が娘の部屋を見るという異様な光景でしたが、私はなぜか切ない気持ちになりほろりとしました。
そして夫も、だんだんと涙混じりの声になりました。
そして夫は膝まずき
「俺が悪かった。許してくれないかもしれないが、頼む!自由にしてくれ・・」
夫はポロポロと泣いていました。
そして、縛られたまま土下座をする夫。
私は黙って元来た道を戻ると、夫のロープを解き倉庫に入れ、鍵をかけました。
リビングに戻った私はどうしてよいか分からず、しばらく考えていました。
そこで私は、夫を「仮釈放」することにしました。
家族の前で傲慢な態度を取らないことや、夫の現金やカードなどを全て私が管理し、ちゃんとした仕事を見つけることを約束させました。
そして、6年後。
上の娘が中学に上がる頃、夫は晴れて私の保護下から解放されました。
今でもある程度の生活費を納めることが条件ですが、夫は自由にお金を使えるようになりました。
ただ今までの名残りとして、娘たちは夫に対して小さな子供に接するかのような話し方だし、夫も私や娘たちに敬語で話しています。
–END–
『まな(34歳・♀)』さんからの投稿です。
ありがとうございます。
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