ところで昨夜は、1回戦で後は書けませんでしたが、今夜は続きを書きます。
金沢市の郊外の湯涌温泉は市内から30分で行けます。
その間に彼の奥さまとの、馴れ初めを聞きました。
彼女は年齢は一つ下で、同じ金沢大学の医学部の学生でした。
市内の武蔵ヶ辻のそばに、大きな病院があり、祖父夫妻、両親ともにお医者さんでした。
そこの長女に生まれ、彼とは大学生の時に知り合ったのです。
彼女は21歳の時に、アメリカのシカゴの大学に編入して、外科に行き、物凄く手術を勉強したそうです。
3年で帰国するまでに100例は手術に立ち会ったそうです。
金沢に帰り、両親の経営する病院に勤務、外科の専門医でした。
彼女は大学時代に、ミスコンクールがあり、ミス金沢に選ばれるほどの美貌と才媛でした。
彼女が25歳の時に、この彼と知り合いすぐに結婚したそうです。
2児の男と女の母親になり、お手伝いさんに任せて自分は毎日外科の手術をしたそうです。
手術をした夜は、物凄く興奮して、その夜はいつも旦那さんとの性交を希望したとか。
生で出して欲しいというので、主人の性器のパイプカットの手術までしたようです。
性格としては淫乱ですが、ほかの誰かと浮気してもあまり関心は無いようです。
165㎝、51㌔、バスト86、ウエスト58、ヒップは90です。
ものすごくセックス好きで、アメリカでも狂ったように性行為をしたみたいです。
旦那さんが浮気しても、説明がつけば許すらしく、私とのことも話をするようでした。
夜中の1時に、大吟醸の「菊姫」を飲み、泥鰌の蒲焼きを食べながら、和室で2回戦に入りました。
さっきは騎乗位だったので、今度はバックから攻めてもらいました。
頭の耳の横を舐め、脇の下、背中、膝を甘咬みし、両脚の指を丁寧に舐めさせ、あとはアナル、それに続く蟻の門渡りを舐め、最後に膣と陰核を舐めます。
これをしてから、後ろ向きでオッパイを握り締めて、膣に陰茎を突き刺します。
一度性交をしているだけに、陰唇は厚く膨れてはれぼったくなっていました。
康介の性器は前より感度がよく、クリトリスを擦りながら、膣前庭のGスポットを丁寧に突きます。
私の身体は腰骨が蕩けそうになり、彼はぐいぐいと両手をお腹に当てて、腰をピストンさせます。
パンパンと隠微な音が、部屋中に響きます。仄かな行灯の明かりが私の裸身を奇麗に見せています。
私は首を絞められた時に出すような、妙な声が迸りました。
全身が激しくわななき、粒々の膣の壁に亀頭が当たり、我慢も限界です。
私の泥濘の海はどろどろで、ますます呻き、喘ぎ、股を開いて、潤んだ膣の壁が彼を桃源郷に連れ込みます。
「あああ~んん、あああ~んん」
部屋中に官能の響きが流れ、痴肉が一層しまって、彼も堪え切れないようにペニスがピクピクと膣の中で跳ねます。
「ひ、ひいっ~、こ、これはダメかもしれないわ~、いっ、イっちゃうよ~」
一条の光が総身を駆け抜け、物凄いエクスタシーに達しました。
炎のような快感に包まれて、一瞬の閃光の後で、激しく痙攣が始まり、彼の陰茎からの精液を奥深くで受け止めました。
二人は異口同音にアクメの声を揚げ、彼の熱いラブジュースを私の中に放出していました。
またも露天風呂でぬるぬるのあそこを洗ってくれて、”ちゃんぺ”の奥の精液を掻き出して掃除までしてくれました。
翌日も朝から交わりました。まるで狂った犬の交尾みたいに・・・・・。
前日は真夜中の3時まで性交に狂いました。
彼がなんでそんなにセックスのテクが上手なのか、理由が解りました。
今は33歳ですが、小松市では彼の家は子供に人気の玩具店でした。
私も子供のころは、そのお店で買い物するのが夢で、何に数回はそこで買い物をしています。
彼は金沢大学医学部に入学するのですが、電車通学では時間もかかるので、
両親が知人を紹介してくれて大学のそばの、小立野に住む53歳のオバちゃんの家に下宿しました。
この人は花街育ちで、16歳の若いころから芸者さんをして、能登の実家に仕送りをしていました。
18歳の時に、紡績会社の60歳の社長に水揚げされて、2百万円で身体を売り破瓜しました。
すごく素敵な旦那で、小立野に1軒の住処をくれて、そこで週一回の夜は旦那さんと性行為、
その前は東の郭でお仕事をしていました。
まあ芸者ですから、踊りや都都逸、長唄、小唄、三味線も何でもできました。
10年ぐらいすると、旦那との性行為中に、脳梗塞で腹上死をして、その家だけは遺産でもらいました。
金沢でも高級住宅地120坪に、80坪の家は高価です。
今なら一億円位でしょう。
次の旦那は地方新聞社の社主で、この人も67歳で、月に2,3回は性交をするだけで、月のお手当は100万円でした。
この方も腹上死ではありませんが、77歳で亡くなりました。
彼女もその頃は39歳で女盛り、三度目も地方デパートの59歳の社長のお妾さんになりました。
この人との性交はかなり激しい人で週に2,3回は交わっていました。
彼女が45歳の時に、またもやゴルフ中に脳卒中で倒れ、帰らぬ人になったのです。
日頃のセックスの疲れが出たのかもしれません。
愛人生活を30年もしていていて財産は、3億円位は貯めたようです。
一人でのんびりと世界一周の旅行に出かけたり、ハワイに別荘を買ってのんびり生活していたそうです。
53歳で金沢の高級住宅地でのんびり生活していると、暇なので大学生を下宿させたのです。
それが彼と彼女の出会いで、3月下旬に下宿して、18歳の4月にはオバちゃんに誘惑されて、童貞を捧げたのです。
最初の性交は5分しか持たなかったのに、毎日して3ヶ月後には30分、半年後には1時間は持ち、
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セックステクを十分に教わったそうです。
「一麩、二雁、三反」という言葉があり、一番に良いマラはただ単に堅いものではなく、どんなヴァギナにも合う柔軟なペニスがナンバーワンなのです。
二番目の「雁」は、ペニスの亀頭の部分が高く張り出していると、女性に強い刺激を与えるということなのです。
三番目の「反」は、一物が反り返り、見栄えもよいし、膣の中でGスポットを刺激するマラなのです。
「八太九長」とあり、長いのと太いのは昔から意外に評価が低いのです。
現在でもソープランドの泡姫にも人気がないのは、勃起したときにデカマラが最低なのです。
彼の陰茎はそれがすべて当てはまり、そのオバちゃんは彼と毎日のように性交したみたいです。
この人と年間に300回の性行為を続け、花街で教わる性交テクを彼に教え込んだそうです。
どこを舐めると、すぐに気持ちが良くなるか、必ずイケる場所とテクを4年間も教えたのだそうです。
これが人生で一番役に立ったそうで、女性でイかなかった人を何人も救ってあげたそうです。
産婦人科医になったのもその時の体験が役に立ったようです。
その自信のあるセックステクで私の身体はもうメロメロ状態で、あの夜だけで、数十回はイカされました。
朝も食事前に、露天風呂のマットで4回目の性交をされて、お食事を運んできた女性にばれそうでした。
朝食後は近所をタクシーで観光をして、小松市内の実家に送ってもらいました。
あんなに素敵な”べべ”は生まれて初めての体験でした。
5年後の同窓会は東京です。その時にもぜひお願いしますが、毎年墓参りには帰省するので、連絡することにしました。
お互いの携帯には、二人の交接している性器のアップや、射精している彼の陰茎、私のチャンペのアップも彼に提供しました。
家に帰り、パソコンに移し替えて見ていると、いつもアソコがじゅんと濡れてくるのでした。
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