私も妻も、もう体のあちこちに支障が出て、性生活等と言う言葉も思い出になってしまった、
しかし頭の中ではセックスにまだ興味があり良い時代になったのでSNSで何でも見られて満足しているが、もう動画には食傷気味で見る気もあまりない、
と言う事で今面白く見ているのは、夫婦の投稿サイト、まあ今流行りの寝取られサイトや勃起自慢などを見ている、
しかし山ほどの夫婦、特に夫の投稿に
「妻に他人棒を与えたいが言う事を聞いてくれない」
という投稿が大半なのでは?とさえ思う、
スワップという言葉が出てきて夫婦交際誌が出て来る以前から夫婦交換をしていた私にとってそう言う夫は冷笑の相手でしかないが、どうもどこを探しても大戦後の団塊の世代と言われる私の様な年齢の人の投稿が見当たらない?
数からいえば、一番多いと思われるのだがなぜか見あたらない?一体どういう事かと思うのだが、
その頃の人はそんなこと思いもしなかったからだろうか?
でも私らの性生活を述べると
私が25歳妻が二十歳で結婚したが、言うまでもなく結婚一年前から性交は毎日、それも日に5回くらいは当たり前にやっていた、良く妊娠しなかったと思うほどだったが
私も助平には自信があったがそれに増して妻は助平で、私が仕事から帰り戸を開けると素っ裸になっており、玄関先で性交を始める程の好き者だったし
半裸で屋外を歩き、夜の公園、城跡の石垣の石碑の後ろなどで青姦も一杯していた
勿論覗かれる事も多かったが妻は覗かれている事が分かっても、性行為を止めようとはしなかった、
別に覗かれる事に恥ずかしさとか興奮するとかは殆どなく、ただただ性行為の歓喜を止めるのが厭だっただけで、覗かれていようが平気でオルガスムスを迎え歓喜の声を上げていた。
時を同じくして私の幼馴染の悪友も結婚し良く互いの家で飲食をし互いの家で寝泊りをしていた、
借家も広くはなく、布団を並べて二組夫婦が寝ていたが、夜中私が妻に手を出すとど助平な妻は最初の頃はそれでも嫌がったが二度三度となるともう平気で私にしがみ付き性交する様になった
そうこうするうちに悪友夫婦も控えめながら性交するようになり、妻はもう喘ぎ声を我慢もせず上げるようになり、友人の奥さんも同じように喘ぎ声をあげ、
妻がアクメの逝く声を上げる様になると奥さんも同じ様に上げるようになった、
そんな事をしているとたまに掛け布団がずれて、妻の裸が見えるようになったが、別に隠しもしなかったら友人の奥さんの裸もたまに見えるようになったので、悪戯心でわざと掛け布団を殆どずらし、友人に妻の裸の乳房も陰毛も見えるようにしてM字に開脚した妻の股の間に私のちんぼが抜き差しされている所が見えるような格好で性交する事を始めた、
最初からでは嫌がったが、妻がふんふんと喘ぎ始めてから布団をはぐともう逝くのに一生懸命で、見られていようが構いもしない
広告コード「444801」入力で6,000円分無料ポイントがもらえます
その様になってから体を布団の上でずらし、友人に私ら夫婦の性交している所、妻のオソソに私のちんぼが抜き差しされている所が良く見えるようにして、妻のオソソ汁が敷布に染みを作る所から妻が逝く声を上げ、痙攣する所、私のザーメンが妻のオソソの隙間から流れ出るところまで見せてやった、
まあそうする内に悪友夫婦も私ら夫婦に同じような事を最後まで見せてくれる様になった。
そんな風に次第に過激な事をしていると、当然のように手が出て来る?
最初は友人が私ら夫婦の性交位中の私のちんぼを触ってきて、妻のオソソに嵌るちんぼをたどり妻のオソソの隙間に指を差し込んできた、
私のちんぼと友人の指数本差しこまれ妻もそれを感じただろう、いつも以上の喘ぎ声を上げ始めオソソの締め付けもよりきつく、オルガスムスにもかなり早く達してチンポと友人の指を痙攣しながら締め付けて気を遣っていた。
友人の奥さんとも同じような事をして、もう変に隠れてではなく大っぴらに互いの妻のオソソをくじり合っていたが、いざ相手の妻とセックスするかという事になると躊躇はした、
互い夫婦間でしばらくは問答を重ね、してもいいと返事をもらいその日を迎えたが、風呂上がりの素っ裸の姿で布団の上に仰向けで寝ている妻に友人がかぶさって来たが、どうにもオソソにチンボが入らないようだったので、私が友人の半立ちのチンボをしごき、妻のオソソを開き、鬼頭をつかみねじ込んでやった
しばらく正常位で腰を振っていたが、妻の膣の中でやっと勃起も完全になったのだろう、
妻の両膝を抱えて太股を大きく開かせて抽送し、大腰を使い膣の奥深くまでチンボの先が届くように突きさすと、妻は眼を白くさせて
「アグッアグッ」
っと言う様な声と言うより呻き声を上げ始めたが、嫌がっている訳ではないようで
友人の腰の動きに合わせて妻も腰を引きつかせるように、チンボを深くまで受け入れるように上下させていた。
友人のチンボは私の物より鬼頭一つ分長く太かったから、何度も気を逝かせられてへろへろになった妻は充分満足したようで、結果その後の半世紀に及ぶ間の
妻の大事な生身のディルドだと思えば良いじゃあないかと言いました、
その後の長い性生活の中でかれとは住む場所も違いそうそういつでも会う事も出来ず,買った極太ディルドなども使ったりしましたが、それで逝く事は逝けてもやはり不満そうに、冷たくて厭だ、と気を遣った癖にと思いますがその気持ちは分かり私がディルドで逝ったあとに又性交したりしていましたが、彼が来るといそいそと飲食の用意をし、まだ9時頃でも早く布団に入るのが待ち遠しい様子が見ていておもしろかったです。
そんな昔話を出来る相手がいないのが不満な私です。
-END-
『喜寿も過ぎた爺さん(77歳・♂)』さんからの投稿です
ありがとうございます。
私は昭和40年進学校の高校生でしたが,窓の外を工業高校の生徒が下校する時など
二階の窓から女生徒がきゃあきゃあ言って手を振るのが毎日でした
プレスリーがはやりツイスト何かを踊り先輩女子生徒と抱き合っていると先輩にキスとか
ペッティングを教えられ、暗くなると部室でセックスも教えられました
不良って言う事も言われなかったし何しろ数が多かったからそんな事言う暇もなかったのかな