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その私がこの中学を卒業する頃、禎子の結婚話が流れた。
私も、前々からうすうす感じてはいたのだが、敢えてその事には触れないでいたし、禎子の方から切り出すこともなかった。
そんなある日、私は保健室に呼び出された。
実は、ある「目的」があって保健室に行こうとしていたのだが、それでも何故禎子に呼び出されたのかは分からなかった。
見当もつかないまま保健室に行くと、1,2年生は授業中なので、禎子以外は誰もいなかった。
この日は公立高校入試の前日で、3年生の授業は半日だった。
1人待っていた禎子は
「話があるの」
と切り出した。
何も知らないフリをして
「話って何?」
と訊くと、禎子は
「○○君も気付いていたと思うけど、私、もうすぐ結婚するの」
と言った。
私は
「先生が結婚することは前から知っていたよ」
と言った。
すると禎子は
「そうなの。私ね、できることなら○○君と結婚したかったけど、絶対にできないのよね…。でも、多分(結婚式を挙げる)その日が『排卵日』なの。もう【あんなこと】できなくなるから、『記念』に○○君の精子で子供を作りたいの。旦那との子供は、いやでも作ることになるから…」
と、最初のお誘い以上に衝撃的なことを言ってきた。
驚いた私が
「そんなことして、もしも俺にそっくりの子供が生まれたら、旦那にバレるよ!!」
と言うと、
「仮に(私に)似た子供が生まれても、一生騙すつもりだし、旦那も○○君も同じB型だから…」
と言った。
私はすかさず
「B型って言っても、(私の母親がO型なので)O型の遺伝子があるよ」
と言った。
禎子は
「それも大丈夫、旦那のお母さんがA型だから」
と言った。
これで、禎子と旦那との間から生まれてくる子供も、私との間から生まれてくる子供も、血液型の上では判らないことになる(その説明は省略)。
私は
「分かった。式の前夜に『種付け』するよ。でも、後は知らないからな」
と言った。
続けて私は禎子に
「先生、俺、明日入試なんだ。それでさあ、頼みたいことがあるんだけど…」
と言った。
「何?」
と訊いてきたので、
「先生の『オマンコの毛』をさあ、『お守り』にして持って行きたいんだけど、この場で抜いてくれないかなあ?」
と
「本来の目的」
を言った。
禎子は、恥ずかしがりながらも私の目の前でジャージの中に手を入れて毛を引き抜き、
「絶対に受かるのよ」
と言って私に渡してくれた。
勿論、私は志望校に合格できた。
そして、高校入試や中学の卒業式も過ぎ、私の高校入学の準備も一段落した、禎子の結婚式の前夜。
10時過ぎ、私は1階の自室の窓から抜け出し、自宅近くのスーパーの駐車場に行った。
そこには禎子が、すでに車を止めて待っていた。
私が乗りこむと、禎子は郊外へ向けて車を走らせた。
車内での2人は殆ど無言だった。
郊外の河川敷に車を止めると、最初の頃の様にキスをし、お互いの体をまさぐった。
そして、ぐっしょり濡れた禎子の子宮の奥深くに、私の子種を放出した。
この時には勿論、禎子のペッサリーははずしてあった。
入れる前に
「本当に後悔しないの?」
と訊くと、禎子はうっすらと涙を浮かべて
「この前も言ったでしょ」
と言ったので、もう迷わなかった。
実は禎子は、何回目かの「課外授業」の後、旦那になる男性(教職員ではない)とお見合いをしていた。
しかし、その男性が「婚前交渉」をしたくないという「偏屈(今考えてもそう思う)」だったことや、禎子が勤務先で先に「私」を見付けていたこと等から「二股」をかけていたのだ。
だが、年齢的にも倫理的にも、禎子は私と結婚できない(今なら、倫理的側面を抜きにしても可能だが)。
そこで、私が中学を卒業するまで「私の息子を鍛えながら自分も楽しみ」、結婚したのだ。
式の日取りも、自分の排卵予定日に合わせて禎子が決めたという。
そうまでして、最初の子供は「私との子供」を産みたかったと言っていた。
こうして、禎子は確実に「夫」以外の精子で新しい命を宿し、翌日「人妻」となった。
翌春、生まれた子供(女の子)の顔を禎子から連絡をもらい見せてもらった。
顔立ちは、周りからも「禎子の縮小コピー」と言われる程禎子にそっくりで、外見からは「父親」が誰なのかは分からなくなっていてホッとした。
まあ、旦那が父親である可能性もないわけではないが…。
もしも私にそっくりだったら、それこそ「一大事」になるところだった。
2人とも、それを覚悟の上で交わったのだが…。
娘の名前(実名を書くのは御容赦を)は、私の名前から一文字取って付けたそうだ。
ここから少し話がそれるが、私は中学時代、禎子を皮切りに同じ中学に勤務していた音楽 ・ 理科 ・ 数学 ・ 美術の女性教諭(「食べた」時期は違うがいずれも20代←未婚者もあり)、果ては職員室にいる女性事務職員(当時独身だったがこちらも20代)まで「食べた」、別名《女教師殺し》だった(但し、いずれも「レイプ」ではなく、それぞれ1回だけ)。
でも、職員室では「いい子」 ・ 「模範生」で通っていたせいか、周囲にバレたことはなかった。
もっとも、どこかでバレていたら、この町にいられなかっただろう。
禎子との件も含めて、今にして思えばバレなかったのが不思議なくらいだ。
実際には「1人」だけ、このことを知っていたのだが…。
私の「女教師殺し」は、高校に入った後も続き、3年生の時には、姉の同級生だったという教育実習生(当時22歳)&掃除当番だった保健室の産休代替の養護教諭(当時25歳)を、共に「ナマ」で頂いたこともある。
2人共、幸いなことに妊娠しなかった。
今だったら、恐ろしくて出来ないだろうなあ…。
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でも、高校の他の女教師は年増ばっかりだったし、中学と高校では環境が全然違うので、それ以外女教師との関係はなかった。
そういった数多い経験の中で、今回は「初めての経験」に関することを書いている。
禎子とは後日談もあるので、もう少しお付き合い願いたい。
進学した高校へ通う時には中学の前も通った。
中学には、担任をはじめ知っている先生も多かったので、1年生の時にはよく「遊びに」行った。
ただ、禎子は「出産&育児休暇」でいなかったので、残念と言えば残念だった。
因みに、代替の養護教諭は年増だったので、何の興味もなかった。
その当時はまだケータイがなかったので、休暇中の禎子とは「文通」で連絡を取り合い、偶然を装って公園等で時々会っていた。
勿論、禎子は子供を連れて。
でも、中学の頃の様な関係はなく、「先生と卒業生」のごく標準的な関係だった。
当たり前の話だが、禎子は旦那以外の男とは肉体関係がないと言っていた。
そして3年生の秋、就職試験の前には、嫌がる禎子に無理矢理お願いして、禎子の経血をたっぷり吸いこんだナプキンと1週間穿きっぱなしで洗濯させなかったパンティー、さらにはポラロイドで撮影したオマンコの写真を高校入試の時みたいに「お守り」にして試験に臨み、合格 ・ 入社した。
ナプキンとパンティーは、さすがにすぐ捨ててしまったが、「写真」&高校入試の時にもらった「毛」は今でも持っている。
先日、生え際には白いモノが目立ち始めた禎子と年頃の娘に出会ったが、娘は生まれた時以上に禎子に似ていて、俗に言う「一卵性母娘」だった。
赤ん坊の時以来、久しぶりに顔を見た娘には「お前の『本当の(遺伝子上の)父親』は多分、この俺なんだぞ」と言いたかったが、禎子との約束でもあったし、今更そんなことを言って幸せな家庭を壊すこともしたくないので、黙っていた。
禎子は、元々は大人しい子だったそうだが、中学3年の時の担任を好きになってしまい、勉強を教えてもらうという口実を作って下宿先に乗り込み、処女を捧げたそうだ。
高校に進学してからは大人しくしていたが、大学に入ってからの禎子は、詳しくは話してくれなかったが「ヤリマン」だったらしい。
結局、教員になってからも「味」を忘れられなかったということだ。
その禎子は、今も地元の学校で養護教諭をしている。今でも、生徒を「食いモノ」にしているのだろうか…。
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