これは1991年、俺がまだ26才だったときの話だ。
その頃は東京に住み、東京の会社に勤めていた。
まだ「のぞみ」がなく、2階建て新幹線が主流だった時代だ。
新幹線に食堂車や2階席のグリーン車があり、1階には個室があった頃だった。
福岡出身の俺は新幹線で帰省することがよくあった。
東京から福岡なら飛行機の方が便利だったが、鉄道ファンの俺は新幹線で帰る頻度が高かった。
俺には智子(トモコ・仮名)という1才年下の彼女がいた。
智子は丸い顔に一重の目、髪はよく一本結びにしているセミロングで、美人という程ではないが、雰囲気が可愛らしい感じの女性だった。
あるとき俺は智子と、生まれ育った地元の紹介を兼ねて福岡に旅行に行くことにした。
このとき、初めて新幹線の4人用個室を予約した。
2人しか利用しないのに敢えて4人用を予約(当然2人用よりも割高)したのはそれなりの訳があった。
そして旅行当日。
東京駅で100系「ひかり」を見るだけでも智子は喜んでいたが、これだけで満足してもらっては困る(笑)。
サプライズのため俺は智子に、どこの席に座るかは予め伝えていなかった。
そのため、2階建てのグリーン車に俺たちが近づいたときには智子は
「すごーい!」
と驚いていて、そして2階席ではなく1階への階段を降りたとき、智子は
「え、どこに行くの?」
みたいに不思議そうに1階の通路を歩いた。
そして個室の扉を開くと
「わー!すごくいいね!!」
と驚いていた。
席は4つある4人用だ。
東京から博多まで4人用グリーン個室を貸し切る訳だから費用はそれなりだが勿論、智子の分も含めて全額俺が払った。
窓際の窓からは思っていたよりもはっきりと外の景色を見ることができた。
そして走り出す新幹線。
智子は窓際から嬉しそうに外の景色を眺めていた。
しばらくすると検札が来て、このあとは誰にも邪魔されない空間になる。
席は2人がけのソファーのような席が2つあるので、俺たちは2人分ずつ使い広々と過ごすことができた。
博多までは6時間ある。
たっぷり楽しめそうだww。
そして俺は智子に
「じゃあ始めようか。」
と言ってニヤリと笑う。
智子は
「え?もう、始めるの?」
とは言いながらも嫌がってはいなかった。
まずは通路側のドアのカーテンを閉めた。
窓側の窓は外の景色が見えるだけなので気にしなかった。
そして俺は服を脱ぎ始め、智子も服を脱いでいった。
そして2人で裸になって俺の座っていた席の上へ。
荷物や着ていた服などはテーブルや智子の席に置いたりした。
そして俺たちは席の上でまぐわった。
長い座席をベッド代わりにしながら、仰向けの智子の体に重なる俺。
俺は智子の豊満な胸にしゃぶりついたり、両手で撫でたり、乳首を掴んだりした。
智子は、
「あ、いやぁ・・」
とか言いながら悶えていた。
そのあと69の耐性になり、智子に俺のチンコやギャランドゥの辺りを口や手で弄らせながら、俺は智子のヘソを下で舐め、そのあとだんだんと智子の大事なところに向かって動く俺の舌。智子の黒い密林を縦断しそして智子の股へ。
そして智子の大事な穴を見つけると、まずは穴の周りの智子の愛液を舐め取り、そのあとマンコに俺の舌を入れた。
智子はアンアン喘いでいた。
そのあとも智子の中でクンニを繰り返し、舐める舐める。
智子は大声で喘いでいた。
実はこの新幹線、両端の個室はたまたま予約がなく空いていた。
念のため走り出してからも確認したが両端は誰も使っていないようで、カーテンの閉まっていない部屋と空席があった。
そのため、俺は強く智子を攻めていた。
新幹線ひかりは東京を出ると名古屋まで止まらない。
俺たちのノンストップセックスも止まらなかった。
小田原を通過する頃に1回目の射精をし、静岡県内を通過する間に智子の胸を200回以上は揉んでいたと思う。
静岡を通過してから浜松を通過するまでの間、智子のマンコにローターを差し込んだままで、景色を楽しみながら智子の体を楽しんでいた。
そして豊橋を過ぎて愛知県に入ると攻守交代。
ソファーの上で智子が俺の体に乗り、俺の乳首やヘソ、チンコを揉んでくれた。
そして智子が馬乗りのまま上半身を倒して俺の顔にキスして、そのあとディープキスに移行したりした。
そうこう楽しんでいると
「まもなく名古屋です。」
のアナウンスが流れた。
もし見られたら大事なので下着や軽く服を着たりした。
そして新幹線は駅に着いたようだが、窓の外はホームではなく駅前周辺の某電機店や牛丼屋が見えた。
景色を見ていると、2分くらい経ってからまた走り出した。
そしてそのあとの停車駅は3駅しか離れてない京都でそのあともすぐ新大阪に着くため、しばし休憩することにした。
2階建てグリーン車の隣りの2階建て食堂車に移動した。
幸い席は空いていて、注文することができた。
俺たちは無難にカレーライスを注文した。
注文を待っている間景色を見ると、木曽川や揖斐川などの大きな川を通過する新幹線。
食堂車の窓は大きく、高速で流れる車窓と言い本当にいい景色だなと思った。
そしてカレーライスが運ばれて来た。本音を言うと値段の割に量や味は今一つだが、景色を見ながら食べられること、そして彼女と一緒に食事を楽しめることから考えると悪くはない。
食堂車はそれほど混んでいなかったのでゆっくり食べて、新幹線が京都に着くくらいで会計をした。
新幹線が京都を出てから新大阪に着くまでは、智子と個室でゆっくり休んでときどき外の景色を見ていた。
新大阪に着くと降りる人も乗る人もいて通路を歩く音も聞こえた。
そして新幹線が出発した頃、通路に出て両隣りを確認すると、やはり誰もいなかった。
そして俺たちは第二回戦に突入した。
そして新幹線が六甲の長いトンネルに入る頃、智子の長いトンネルに俺の超特急を挿入した。
新大阪から西の山陽新幹線ではトンネルが多く、退屈をしのぐためかグリーン車でテレビを見ることができるらしい。(東海道新幹線内では見られないようになっている)
だが、俺たちは常に退屈しなかった。
俺はソファの上に智子をうつ伏せに寝かせて、その上に俺が乗っかった。
智子は少し苦しそうに
「なんかちょっと痛いかも・・」
「そうか?」
「胸とか挟まれてるし」
「じゃあ、俺が守ってあげるよ!」
「え、な、何するの?」
俺はうつ伏せの智子の胸元に手を入れて智子の胸を俺の手で手ブラをした。
そして智子の乳房をモミモミするエッチな手ブラ。
そのあと、俺は左腕を伸ばして智子の両乳房と乳首を覆い、右手で陰部に手を伸ばし智子の陰部を指で犯した。
「あぁーん。いやあん!」
智子は悩ましく喘いでいた。
そのあとも何回も智子の体を揉みほぐした。
その頃新幹線は岡山に着く頃だった。
駅では個室の窓がホーム側に到着するようなので、俺たちはソファーの陰に隠れて体を見られないようにした。
そして岡山を出るとまた智子と行為を始めた。
そのあとはソファーの上で、智子のおっぱいに吸い付いていた。
俺が普通にソファーに座っている格好で、智子は俺の膝の上に上半身を伸ばし俺の顔に乳房を近づけて吸わせた。
ときどき言われる
「美味しい??」
との言葉が嬉しかった。
そのあとは交代し、智子がソファーに腰掛け、俺が智子の顔にチンコを近づけてフェラチオをさせた。
智子の口の中は暖かくて、よい舌触りだった。
そんなこんなで新幹線は広島に着いた。
ここでも窓の外はホームとは反対側なので誰かに見られる心配はなかったそしてまた動き始める新幹線。
次の停車駅は九州の小倉だった。
最後のプレイをするなら今がチャンスだった。
そのあと、俺は智子を引き寄せ濃厚なキス。
智子とキスしたまま長いこと固まっていた。
窓の外では、新幹線が長いトンネルを通過していて「ゴー」という音がずっと響いていた。
そして外の光とトンネルが繰り返され、俺たちも攻守関係なく激しく乱れた。
全身に汗をかき、2人とも全裸で揉みあっていた。
そのあと、新関門トンネルを抜けて九州に到着!
そして最後の停車駅の小倉を過ぎた。
その次の駅は博多なので、フィニッシュまで急がないといけない!
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でも何回もイッているので俺はなかなかイケなかった。
そんななか智子は俺のモノを何度もピストンしたり、俺の体に胸などを擦り付けたりしてくれた。
そして福岡トンネルを越えたあたりで俺たちはまた連結。
智子の中で激しくピストンした。
だんだんと興奮してくる俺。
智子のおっぱいがぷるんぷるん揺れていた。
そしてそのおっぱいで刺激される俺の上半身。
さらに俺のチンコは智子の大事なところで包まれていてとても快感だった。
そして俺は果てた!
「あ、あ、あっ・・」
と言いながらも満足そうな智子。
それと同時に
「まもなく終点博多です」
のアナウンスが流れた。
そのあと急いで服を来て博多駅に降り立った。
俺たちは手を繋ぎ、智子は初めて見る博多の景色に興味津々だった。
–END–
『バリ(56歳・♂)』さんからの投稿です。
ありがとうございます。
はじめまして。
52歳信夫です。
僕より年上なんですね。あの頃が懐かしいです。
時はバブル真っ只中、先日2階建て惜別って出てましたね。
僕はあの当時は食堂車のウェイトレスに憧れました。
1枚2ショットを・・・でOKしてくれて、現像してそれを見てシコシコ、どっぷり出しました。
グリーン車のTV,東海は強調せずロックかけてましたね。
貴方は射精は超特急、彼女の子宮は長いトンネル、僕のあそこは花魁車では引っかかります。
新幹線は男です。のぞみ、ひかりちゃんではないですよ。
「液(駅)を飛ばす」・・・ご存じとは思いますが…
》信夫さん
コメントありがとうございます。
あの頃はよかったですよね!
二階建てが4両ある「グランドひかり」や山陽限定の「ウエストひかり」などいろんなバリエーションがあったのが良かったです。
今では殆どN700系やN700Sとか無個性な車両ですからね。
作中の智子(仮名)は今では我が妻で、私たちには娘が2人います。
2人とも旦那さんや彼氏がいて、体験談のように大胆なことをしているのでは、とか考えてしまうこともあります。
あ~、そうですか。
お幸せで何よりです。
今の娘さんは隅に置けないですよ。
Gひかり、帝国ホテルがサービスに入っていましたね。
懐かしいお話ありがとう。
ですが、今やこだま号を利用するとあの時代を思わせてくれますわ。
東海地区の駅で長時間停車、うなぎ弁当、静岡茶でハイボール割りながら妻と飲んでます。
こだまのグリーン車、数人しかいない中で妻とイチャイチャ、キスもスリリングありますよ。
ものすごく良い時代に彼女さん『奥さん』と二階建て新幹線100系の個室で東京から博多まで、おもいっきりたくさんイチャイチャラブラブセックスをおもいっきりたくさん楽しんでいたなんてね、本当にものすごくうらやましいことだし、本当にものすごく良いよね♥。しかも、その時の彼女さんが、今の奥さんとはね❗️。ものすごくびっくりだよね❗️。今では、その100系もいないし、初代の、のぞみ用300系すら、いなくなったからね❗️。今では、ものすごく良い思い出になったよね♥❗️。これからも、奥さんを大事にしてあげて、いつまでも幸せに暮らして欲しいですね♥❗️。
》信夫さん、サトウシンイチ48歳さん
コメントありがとうございます。
そうなんです。食堂車や二階建て新幹線がなくなったのは本当に残念ですね。遅くてもいいから、1本くらいは東京から博多直通の100系を残してほしいとか願ったものです。のぞみがデビューしてからも、東京から博多まで敢えて100系の2階席グリーン車や1階席普通車とかに乗ってましたからね。
新幹線で飲むビールも最高ですね!