私等の年代では写真と言えば白黒で、知っている知人の中にも私のように白黒写真の現像機器を持ち自分で写した映像を自分で写真にする人はそこそこいた。
私は中学高校と、結構遊び、彼女が出来ると写真を写し、少し助平な胸をはだけた写真とか陰毛も写った全裸の写真など写させてもらい、自分で現像する所を見せまあ俗に言う「誰にも見せないから」等と言って秘密の秘写真は増えて行ったが、当然のように悪友に見せそれが私等の助平人生の始まりでもあった。
そして私(と悪友)の人生を変えるほどの女が現れ、たまたまでも有ったのだが、私が22歳位彼女は19歳の時、出来たその彼女が類を見ないほどの助平でどんなヌード写真でもオメコから尻の穴まで丸見えの写真は勿論私とのセックスをしている写真もどんな体位でも写させてくれた。
そしてそれを悪友に見せ渡したのだが、何故だかその悪友の彼女がそれを見つけ批難したのかどうか詳細は判らないが結局その彼女も似たような写真を撮られる事になって私が現像し、お互いに互いの彼女の正にエロ写真を見せあいながら4人で飲食をしながら男は助平話をし、女は
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「本当に男は助平なんだから」
等と言う話をしていたが、何の事は無いその写真に写っている彼女らのオメコは本気汁を垂らし顔はしっかりと喘ぎ顔をしているのだから、そんな写真を彼女らに見せ
「何が男は助平だ、お前のこのオメコ汁や逝き顔は何なんだ」
などと助平話をして飲みどちらかの家で泊っていたがそんな話でチンポはギンギンに勃起しているし彼女等もオメコはもうしっかりと濡れている、セックスするのに手間は掛からない、最初こそ布団で頭を隠し喘ぎ声を我慢している互いの彼女らだがものの数分も経つともう喘ぎ声も我慢せずに
「ハアハア、フウフウ、アッアッ、ヒぃーヒィー」
と上げ始める
隣り合った布団の中での行為だが、女も乱れてくると掛け布団もずれて体が見えてくるので男二人は手を伸ばし、互いの彼女の乳房やチンコが嵌っているオメコの周りを触り放題
そんな事を何度もしていればもう掛け布団も無しで全身全裸が丸見えでお互いのセックス場面を見せあいながらのセックスになり、わざわざ結合部など良く見せるような体位を取ったりとうとうお互いのセックス場面をカメラで写すようになり、それ用のブルーライトまで買った。
そして互いの彼女がオルガスムスを迎えてハアハアと意識も薄れていれば、もう当たり前に体全てを触りまくってオメコに指を突っ込みかき回しそれを互いの男が写真を写し、又アクメを迎えさせたりしていたが、
頻度は多くなく、一月または数ヶ月に一度位だったが、そしてとうとう最後はお互いの彼女と体の関係を持った。
彼女等が二十歳を過ぎた頃、数ヶ月離れでお互い結婚したが、やる事は同じでまあ避妊だけには気をつけたがお互い子供も何人も生まれても、上手に隠れてしていたが子供らも思春期になるとそれなりに気づかれているかもと思う事も有ったが、何せ赤ん坊の頃から行き来しているおじさんおばさんなのだからと言う事で、ばれたという事はまず無かったが一度だけ、私の娘が一人思春期の時夜中12時を回っていたが、近くに落雷が有った様で凄い音がした時、私の部屋で全員素っ裸で相手の上でセックスをしている時に、二階から駆け下りてくる音がし、あっ、困ったと思う暇も無くドアが開いて娘が部屋に飛び込んできて
「怖いよーっ」
と言って我々を見て固まってしまい数秒もかけず二階に戻って行ったが、半年は私等との関係もギクシャクしていたが、まあそれまでに多少気づいているような風も有ったし、何より十数年も我が家へ来る親の友達
数ヶ月その後は以前と変わらぬようになり、友人夫婦が訪れても笑顔で会話するように戻った。
そしてその関係は30年近く続いた。
関係も終わったと言うのでもなく互い体にあちこち支障が出てきて自然と少なくなり消滅したと言う事だ、でもその間の写真やビデオの資料は山ほどあり、この歳になっての回春剤としては宝物だ。
–END–
『古希過ぎの老人 (71歳・♂)』さんからの投稿です。
ありがとうございます。
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